税理士・公認会計士 山口 真導のプロフィール

 

■生い立ち

 愛知県名古屋市出身。お寺の三男として生まれました。よくお寺の跡を継がないのか?と聞かれますが、三男が手伝わなければならないほどの大きなお寺ではなく、どこにでもある町のお寺の生まれです。長男が跡を継いでお務めさせて頂いています。

そもそも跡を継ぐわけではなかったので、ほうぼうの有名私立、公立大学を受験し、失敗しました。唯一合格したのは、宗派の大学である駒澤大学です。浪人して再度受験することも考えましたが、父の「仏縁だから行け!」の一言で入学が決定しました。もし、人生を変えた一言は何かと聞かれたら、迷わず、この「仏縁だから行け!」と答えます。その理由は、以降を読んで頂けばご理解頂けるはずです。

 ■なぜ会計士・税理士になったか。

駒沢大学に入学したその年から大学主催の経理研究所(会計士養成講座)がスタートしました。早稲田大学、慶應大学、中央大学の御三家に占められていた会計士合格者の層に駒澤大学も入りこもうという壮大な目論見だったようです。

この時、税理士という仕事も会計士という仕事も知らなかったのですが、なんとなく数字に強くなれば就職に有利かも?というライトな動機で経理研究所へ入所しました。そこに来ていた講師が20代の公認会計士でした。最初に公認会計士の仕事の魅力を教えてくれたのはこの先生でしたが、すぐに公認会計士になろうと思ったわけではありません。

 きっかけは、先生の鞄の中を覗いてみた時でした。その革のアタッシュケースの中には、まんが雑誌と写真週刊誌しか入っていませんでした。わたしは、それを発見した時、公認会計士の受験を決意したのです。その時思ったことは、

 「この人が2年で合格するなら、自分なら1年で合格できる」

 でした。

 跡を継ぐ寺はないですが、父からは「一国一城の主になれ」と小さいころから言われていました。公認会計士になれば独立することも出来る、とこの先生に教えてもらっていたので、簡単に父の言いつけを守れると飛びついたのです。

簡単に受かる試験に在学中から取り組む必要はありません。大学生としての青春は軽音楽部の活動と下宿でゴロゴロして過ごしていました。ダメな学生です。大学4年の1月からようやく公認会計士の受験専門学校へ通い始めました。しかし、そこで会計士のきっかけを作ってくれた先生は実は超天才で、そうそう易々と公認会計士試験が合格出来るものではないことを知りました。

 「自分は人の3倍やらないと受からないだろう」

 そう決意し、朝7時の早朝答練の受講から夜21時の自習室の終了までの長時間の受験勉強に突入しました。その後、4年の歳月を経て、平成9年に公認会計士二次試験に合格しました。ちなみに先生の鞄をみて同じことを考えた友人が2人いて、その全員が会計士になりました。そのうちの1人は当社副社長の松島です。動機は不純な仲間ですが、お互い思い違いからスタートしてよく合格できたな、と思います。

 ■就職

 当時最大手だった朝日監査法人(現在はあずさ監査法人)に意気揚々と入所しました。5年遅れの社会人戦略は次のとおりです。

  •   監査法人でしか体験出来ない最高レベルの仕事を求めて、事務所内で、一番大きなお客様の担当を志望する
  •  ビジネスマナー、考え方、心がけについての本を読みあさる
  •  できる先輩(年上の同期を含む)に金魚のフンのように付いて回る
  •  解らないことはすぐに間く
  •  先輩の会話にはアンテナを常にはる
  •  質問する時には、事前に自分で結論を考えてから
  • 経験値を上げるため、とにかく長時間働く

 

 おかげさまで当時時価総額世界1位にもなった会社の監査チームに入れて頂くことに成功しました。しかし、一緒に働く先輩・後輩のレベルの高さに巨大監査法人で出世することは不可能と早々に認識しました。自分は独立してやっていこう!と改めて考えたのもこの時期です。そんな考えが頭をよぎり出した頃、仕事をしていくなかで、お客様である経理の方との間で違和感を感じるようになっていきました。その違和感とは、会社の数字の根底にある真実に触れることが出来ていないという違和感です。わたしの教科書通りの改善提案が、お客様の腑に落ちていないことを感じるようになったのです。

 決算書の監査(チェック)はしているけれど、決算書を作ったことがない。

 このことが、自分を真実から遠ざけているような感じが、日増しに増えていきました。この真実を掴まなければならないと思い立ち、経理の仕事、決算書を作る仕事をしたいと転職を決意しました。

 ■転職。経理の仕事に出会う

 株式会社エスネットワークスへ転職。そこでは当時大証ヘラクレス市場(現JASDAQ)に上場したばかりの会社(連結売上高1,000億円弱)の経理業務を担当させて頂きました。子会社の経理業務と親会社との連結決算を行い、決算開示資料を作成する業務に従事し、そこで私は一生忘れてはいけない人生最大の失敗を3度連続でしてしまいました。

 自分が作成した決算の修正を3回も。

わたしは無能の公認会計士。経理業務はこんなに難しいものか、と、実感しました。監査をする会計士より、決算を締める経理部員の方が凄い。公認会計士の先輩・後輩の皆様には申し訳ないですが、それ以来、そう思って経理の仕事に誇りをもって取り組んでいます。

この職場で仕事スタイルの変革がありました

  • 自分の出来ることをトコトンやる。外部環境は誰がやっても同じ。やる前に外部環境についてとやかく言うより、その環境でベストを尽くす。これが最強の「言い訳仕事」だと思っている。
  • 同時に、引き受けてはいけない仕事があることを学ぶ。
  • 「ほうれんそう」の極意。悪い情報は壱の一番に報告して、それ以外の余計な報告しないので、社長から「お前が寄ってくると悪い予感がする」と言われる。

 

2年間の在職中で教えてもらった。人生を変える考え方

  •  「納期」の大切さ。
  •  毎日終電、タクシー帰り、土日出勤でも毎週本を1冊以上読めること
  •  仕事で結果が出なかったら、謝る以外にすることはないこと。(=言い訳しない)
  •  結果で文句を言わせないように仕事をすること。
  •  仕事を投げ出さない、逃げ出さないことで得られることが多いこと

 

お陰で、入社した時よりかなり成長したと思います。しかし、失敗を繰り返すうちに、出来の悪い自分が、組織の中にいることによって、一方的に守られていることに気づきました。独立願望のある人間が、このことに気づいてしまったら、組織の中に止まるのは失礼と感じて独立を決意しました。独り立ちして、問題の矢面に立つことが必要だと考えたのです。

 ■ついに一国一城の主に

 最初は個人事務所として開始しあした。その 半年後2004年4月1日、自分の貯金500万円、親から300万円、妻から200万円を借りて資本金1,000万円で株式会社アカウンタックスを設立しました。

  設立時点での顧客数はゼロ。それなのに麹町に事務所を借りてしまいました。家賃は月額30万円。更にオープン記念パーティーを2日間に渡り開催させて頂き、延べ200名ほどの来場を頂きました。生ビールの装置をレンタルしたり、おみやげのクッキーまで付けさせて頂き総額100万円ほどかけた贅沢なものでした。初年度は無給です。生活費を会社から借りたため12月頃資金が枯渇しました。この時点で毎月の売上は10万円もありませんでした。

 この時、監査法人時代の先輩が担当している非上場の会社を紹介して下さり、2005年2月頃から月額60万円の経理アウトソーシング業務を受注させて頂きました。この受注は、オープニングパーティーに参加して頂いた際に少しお話をさせて頂いていた案件です。パーティーの元はこの一件で完全に回収することが出来ました。

 ■経理のやり方に革命を〜データベース会計の開始〜

 年商10億円の派遣会社、前任者は既におらず、引継はなし。この会社の月次決算を2週間以内に仕上げてほしい、というのがお客様からのオーダーでした。締切まであと1日のところで、売上の計上以外は全て終了。売上を計上しようと請求書の控えを見せてもらったところ、請求書の控えがGファイルという大きなファイル3.5冊分ありました。これを手で会計ソフトに入力していたら、1日では終わりません。正にジ・エンドの状況でした。

 お客様に締切の延長をお願いしようと思いましたが、経理部長がいません。仕方がないので時間潰しに、請求書の控えをパラパラ眺めていると、あることに気が付きました。

 これはシステムから出力されている。

このシステムからデータを取り出して、そのまま会計ソフトに入力できたら明日の締切に間に合うのではないか?

 すぐに営業担当の方にお願いして、請求書の作成システムを触らせてもらいました。システムから請求書のデータを取り出してみると、少し加工をすれば会計仕訳として利用出来るデータを取り出す事に成功しました。終わってみれば締切1日前に月次決算は完成。こうしてデータ連係により、高速で月次決算を締める方法が始まりました。この後、1年間でこの方式を拡張し、取引が発生してから入出金により消滅するまでをデータベースで管理する形式にし、将来の資金繰りにも対応しました。現在提供しているデータベース会計システムの土台はこの仕組みです。

 ■データベース会計からクラウド化へ。

 監査法人時代はちょうどネットバブルの時期であり、インターネットビジネスを行っている上場を目指す会社の上場前レビューの仕事も幾つかさせて頂きました。その関係もあり、監査法人時代から考えていた、自分がインターネット上で動く会計ソフトを開発して、それを使って会計事務所をやるというプランが再燃してきました。ですが、単純にネット上で動く会計ソフトを作ろうというレベルでは事業として成り立たないと考えて、その構想は独立後しばらくは忘れていました。そんな時に、データベース会計の仕組みを作り上げることが出来たので、事業意欲が再燃することになりました。そんな折にチャンスが舞い降りてきました。

 2007年。独立行政法人情報処理推進機構が主催する、中小ITベンチャー支援事業にデータベース会計システムで応募。並み居るITベンチャーを退けて、なぜか会計事務所である当社が補助金3,000万円を獲得してしまいました。その補助金を活用してMIETA(ミエタ)を開発。データベース会計システムに、入力インターフェースを装備した、ASP方式によるウェブアプリです。

 ※MIETA:Management Information Envisioning Tools provided by Accountax

 MIETAを世に送り出すために、初めて3,500万円を日本政策金融公庫から個人連帯保証付きで借り入れました。まだ完成していないのに成功を確信(当時は本当に)し、オフィスを新宿通りに面した新築のカッコイイところへ移転しました。さらに、お客様がワンサと増える見込みということで増員。いま思えば、とんだ放蕩経営者でした。しかし、2008年4月、MIETAを正式リリースするも、ユーザー数が中々伸びません。社内でも使い勝手が悪いという意見が続出していました。

 しかし、追加開発するお金がどこにもありません。ただクラウドにソフトが置いてあるだけの状況でした。全然売り方を考えず、ただひたすら開発をしていたということです。オフィスのコスト増、人件費増、広告宣伝費増に加えて、私がMIETAの開発に時間をかける分が重荷となり売上が減少。補助金と借入金は、あっという間に溶けてしまいました。

 そして運命の2008年9月12日。

リーマンショック!

 ■リーマンショックによる倒産の危機

 大口顧客であった証券会社が経営破綻。金融庁への報告など、仕事が増える一方で、売上代金が入金されなくなり、会社の資金繰りは急速に悪化しました。まず、自分の役員報酬を止め、次に家賃の支払いを止めました。その結果、再三に渡る大家さんからの催促に耐える日々を送ることになりました。そのような中、大家さんが週刊紙の倒産しそうな不動産会社ランキングで6位に入賞していることを発見。もし敷金が返還されなかったら会社は潰れる!ということで退去を決定しました。それでも、2008年12月、なんとか雇用契約どおりの賞与は社員全員に支給することができました。

  •  2009年3月、日本政策金融公庫に1,500万円の融資の申込。

 渋られたので、「貸してくれないなら返済やめる」といったら、自分より年下の行員にけっこうなボリュームで怒鳴られました。しかし、帰社するとすぐに課長が融資可能と言っていると電話がかかってきて一安心。役員報酬カットと事務所の移転を盛り込んだ改善計画を最初から提出したことが良かったのだと思います。その仕事のプロですから当然のことですが。

融資の際、嫁も保証人にせよと言われてしまいましたが「家に帰れなくなる」と泣きつき、お許し頂きました。しかし、代わりに自宅に根抵当の設定ということになりました。根抵当権の設定のために司法書士の紹介を受けるも20万円の手数料がもったいないので「自分で抵当権の設定を行う」と申し出ると、受付のおねぇさんが驚いて大きな口を「えっ」と開けたのが忘れられません。

 自分で根抵当の設定をした帰り道、なんとも言えず情けない気持ちになりました。しかし、この経験を経て、優れたサービスを提供することで、お客様の数を増やし、安定的な経営で、社員が安心して仕事が出来る会計事務所を作るという、地に足のついた決意が出来たことが、今となっては大きな財産です。

  •  2009年3月末、預金残高が当時の人件費の1ヶ月分を下回る
  • 2009年4月、1,500万円の着金。

 リーマンショック後2年間は、お客様の月次決算はやるけれど、自社の月次決算はお休みにして、預金通帳だけをみながら経営。キャッシュ・フロー経営、資金繰りについて骨身に染みて、お金の大切さやお金の習性について理解することが出来ました。社員に給料の不払いはおろか、遅延も発生させなかったことが唯一良かったことです。

 ■倒産の危機からの脱出

2009年5月、ホームページ経由で年商100億円規模の会社から経理アウトソーシングの仕事を受注。弊社が関与する以前は、経理3人で月次が2ヶ月遅れていましたが、データベース会計を導入することで、経理0.5人で翌月8日に月次が終了するように改善。ここから少しずつお客様を増やしていくことができました。

  •  2010年12月末、実質無借金経営まで財務状況は改善。
  • 2011年1月にMIETA一時休止。
  • 2011年5月、40歳。不惑の年の誕生日に、株式会社起業ナビを設立

 これまでの7年間の経営経験をお客様の経営改善に活かしたい。特にMIETA事業を構想、実現し、失敗したことで、会計事務所経営とは違う、普通の事業での貴重な失敗体験が出来ました。この経験と公認会計士としてのノウハウを併せて、経営用のナビゲーションシステムになろうと決意。良いナビがあれば、自分がこれまで経験したような障害は全て回避できます。また、自分自身が勉強したり良い経営を実践することで、ナビゲーションシステムの性能を向上させることでお客様に貢献したいという思いを込めました。

  • 2012年12月決算は至上最高売上を達成し、完全復活。
  • 2014年4月ビズ部を起ち上げ

 ナビゲーションシステムの根幹となるのは次の3つのプログラムです。

  1.  黒字化プログラム
  2. キャッシュ・フロー改善プログラム
  3. 節税プログラム

 

 このうち、キャッシュ・フロー改善プログラムと節税プログラムについてコンテンツ化してビズ部で公開したところ、二つの記事で、Facebookのいいね!3,984、はてなブックマーク3,015を記録し、1ヶ月で20万PVを達成しました。

この反響が、出版社の目にとまり、

  • 2014年7月に処女作「起業5年目までに知らないとコワイ 資金繰りのキホン」出版
  • 2014年9月に早くも2冊目「起業5年目までに知らないと損する 節税のキホン」出版。

 

黒字化プログラムについては2015年11月に公開し、Facebookのいいね!600、はてなブックマーク1,000を記録しました。もうすこし落ち着きましたら、この3つのプログラムを組み込んだ経営用ナビゲーションシステムを開始予定です。今後は、経営用ナビゲーションシステムにより、起業家・経営者の財務的成功を実現させることで、理念実現のお手伝いをしたいと考えています。

一人一人の起業家の世界を良くしようという理念が実現すれば、世界は必ず良くなると確信しています。

 それを裏方として支えることが、わたしの使命です。

 

 税理士・公認会計士  山口 真導